監修のことば


 TRON仕様チップのプロジェクトが始まったのは1985年のことでした。以来、大学での基礎研究、多くの企業の協力による開発、製品化という段階を経て、現在ではTRON仕様チップが製品として入手できるようになっています。
 このTRON仕様チップは、本来TRONプロジェクトという21世紀の望ましいコンピュータ社会を構築するためのプロジェクトの一環として開発されたものです。
 TRONプロジェクトは、将来、すべてのモノがコンピュータ化される(それを私共はインテリジェントオブジェクトと呼んでいますが)という仮定のもとに、それらがネットワークで結ばれた社会をどう作っていくかということを考るためにはじめたプロジェクトです。
 多くのモノにコンピュータが入る――当然、それだけ多くのモノを作るのに一人の人間、一つの企業だけで開発ができるはずはありません。だからこそ、その仕様はオープンになっている必要があるのです。まずモノが先にできるのではなく、概念や考え方というものが先にでき、それをベースに開発が行われる――このオープンアーキテクチャという考え方が、TRON仕様チップにとって、最も重要で基本的な考え方なのです。
 この考え方に基づき、TRON仕様チップは、実際に6社以上で独立にインプリメントがなされています。一つの仕様書をもとにセカンドソースではなく、オブジェクト互換性のあるチップが作られたということは、コンピュータおよびマイクロプロセッサの歴史上かつてなかったことでしょう。
 また、TRON仕様チップのもう一つの特徴は、過去との互換よりも未来への互換を、という思想です。その一つの現われにビット幅の拡張性があります。マイクロプロセッサの歴史からいって、ビットを拡張する競争がずっと行われてきたわけですが、TRON仕様チップでは32ビットから64ビット化への拡張が最初から考えられているのです。
 さらに、インテリジェントオブジェクトの中にたくさん入れるということ、またその場合、いろいろな応用が考えられるということから、メモリ・メモリ演算などを強化して、低速メモリにおいても最高パフォーマンスが出るような工夫がされています。RISC(Reduced Instruction Set Computer)のように超高速メモリをつけないと極端にパフォーマンスが落ちるというようなチップでは高価なワークステーションでは良くても、廉価な家電製品、例えばトースターに組み込むには向きません。
 さらに、将来のインテリジェントオブジェクトにおいてはオペレーティングシステムの多くがファームウェア化され、完全なワンチップマイクロコンピュータになっていくということが予想されます。そこで、そういう場合でもパフォーマンスを上げるために多くの高機能命令を作りました。これも、RISCのような単純な計算の繰り返し時の平均スピードを誇っても、リアルタイム性が必要とされるインテリジェントオブジェクト応用には向かないからです。
 RISCでは、命令が原始的で前の命令との関連を考慮するなど垂直型マイクロプログラミングと同様な複雑さがあります。このため高級言語をRISCの命令に落とすには非常に高度なコンパイラを開発しなければ使いものになりません。一方TRON仕様チップでは、直交性、対称性が高く、アドレシングが豊富な命令によりコンパイラは容易に構成できる上、命令の使用頻度解析によりRISCと同様な効率を持つ短縮命令やOS用命令を備え、高度なチューニングが可能なすぐれたアーキテクチャを取っています。また、TRON仕様チップでは、特にリアルタイム性の必要な制御目的のためのOS用命令を備えていますが、汎用的な命令を高速に繰り返し平均速度が速いRISCでは瞬間的なリアルタイム性への要求に応えられられません。
 実際、数多くの応用分野でTRON仕様チップは使われています。最近では、TRON仕様チップを使ったマルチメディアステーション向けBTRON2仕様OSとの相性のよさとか、組み込み制御用ITRON2仕様OSのインプリメントなどを通じて、TRON仕様チップの性能の優秀さが実証されています。
 本書は、そのTRON仕様チップを完全に記述した解説書であり、本書のようなハンドブックが出ることは、TRONプロジェクト推進者として、非常に喜ばしいかぎりです。是非、本書をもとに多くの方がTRON仕様チップに興味をもっていただき、TRON仕様チップ応用製品開発が促進されることを期待いたします。

1991年8月

坂村 健
TRONプロジェクト
プロジェクトリーダー


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